■プロフィール
佐々木朗 先生
1955年生まれ、秋田県秋田市出身。早稲田大学教育学部を卒業後、1978年に星野学園星野女子高校に着任。1984年、川越東高校創立年に赴任。以来、現在まで教鞭を執る。現在は入試業務のほか、授業では体育を担当。部活動ではソフトテニス部顧問を第1期から務めている。









――佐々木先生は、川越東高創立から現在まで、30年以上にわたって生徒を指導し続けられていますが、創立当時の学校の様子を教えていただけますか?
 私が初めてここにやってきたのは、まだ開校前のこと。校舎は鉄筋だけの状態でしたし、学校の周りも本当に何にもありませんでした。大講堂もなかったので、校舎の大きさはいまの半分ぐらいだったでしょうか。
 グラウンドも現在の「第一」だけで、川越東高を象徴する立派な体育館もありませんでした。開校年の6~7月ごろに体育館ができ、その後、図書館ができて、合宿所ができて、プールができて……。開校当時を考えるとすごいことですよ。いまの姿は想像もできません。
 第1回目の入学式は4階の小ホールで行っていました。その時、学校に杉の木を植樹したことも懐かしいエピソードです。入学の記念として、まだ何もなかったグラウンドに、生徒が一人一本ずつ、生徒全員で103本の杉を植えたんです。「これからが始まりだ」「一人ひとりしっかりと育ってほしい」という思いで植樹したことをいまでもよく覚えています。

開校当時の学校の様子を身振り手振りも交えて熱心に話していただきました。

――卒業生からすると、佐々木先生といえば「体育の先生」というイメージです。
 体育教師は比較的多くの生徒を見ますので、これまでにもいろんな気質の子どもたちを見てきました。特に初期のころは開拓精神の強い子どもたちが多かったですね。みんなが「この学校を良くしよう!」という思いに溢れていたと思います。当時は校歌もなかったので、自分で校歌を作詞して持ってきてくれた子もいましたよ。やんちゃな子もいましたけどね(笑)。
 最初のころは、授業はもちろん生活指導の下地作りにも苦労しました。日常生活から、登下校まで、一から教えていかなければならないですからね。3期ぐらいからは1学年が15クラスで500人を超えるようになって先生たちも増えていきました。新任の先生たちがたくさんいたので「先生の先生」みたいな役割も担っていたのもしれません。

創立当初の学校や生徒はまだあどけなかったという佐々木先生。

 できたばかりの学校でマニュアルがあるわけではないから、とにかく手探りで、仕事に没頭していました。星野学園のやり方を真似てはいたものの、やっぱり新設の学校では勝手が違う。いまみたいにパソコンもなければ、メールもない。行事があれば要項を作るのに書き直しの連続で……「午前様」なんてこともしょっちゅう。半分苦しい、でもその半分は達成感にも満ちた期間でした。

――まさに川越東高の礎を築いたのが、佐々木先生たちなんですね。そんな時期が続く中、現在の形が確立されてきたのはいつ頃だと思いますか?
 平成元年に星野昭学校長が赴任されてからは、グッと落ち着きが出てきたように思いますね。仕事の分散化や各業務での責任者が確立されて、生徒たちも部活に没頭することで力を発散できるようになってきた。生徒指導も次第に少なくなっていきました。

――部活でも、佐々木先生は大いに活躍されていますよね。1期から現在まで、ソフトテニス部の顧問を務めていらっしゃいます。

精力的にソフトテニス部の指導に当たる佐々木先生

 いまでも暮れになると、1~4期の何人かの集まりがあります。みんな30、40歳になって、やんちゃだった子もいまは立派になっていますよ。部活のOB会は「東魂クラブ」という名前で、集まれば酒を飲んだり、テニスをしたりしています。いまもテニスを続けている子には、時々学校にきてもらったりして、学生を指導してもらっていますね。連絡をとるときは「LINE」ですよ(笑)。父母会の方々にも、いろいろ協力してもらっています。
 顧問は好きで続けていることですから、いまもむかしもそれほど変わりないです。3~4期あたりには関東大会に出ているような子たちが入ってくるようになり、すぐに全国大会に出場することもできたので、学校の中でも順調なスタートをした部活だったかもしれません。いまは学校全体でもいろいろな部活が実績を上げていて、ものすごく良い状態だなと思います。この状態をもっと良く、また維持できていければいいですね。

――そんな良い環境の中で、学生たちは今後、どうあるべきだと思いますか?
 良い環境だからといって、待っているのではなくて、自分からどんどん動きに行ってほしいですね。例えば、夏休みの講習だって、自発的に受けていくべきです。まあ、いまは用意されすぎているということもあるかもしれませんね。
 部活動も、これまでの経験で指導のノウハウが蓄積されていくのはいいことなんですが、スポーツの世界は常に進化していて、変化し続けていますからね。最先端の技術や新しい戦い方を追求し続けていく、そういう考え方を身につけてほしいです。オリンピックで日本代表が活躍しているスポーツって、やっぱりどの競技も先へ先へと進化していますからね。学生たちもそうあってほしい。これは部活だけでなく、勉強も入試もそう。常に変わっていくものだと思う。いろいろなものが用意されてしまっているいまだからこそ、自分で変えていけるような力が重要です。

――変化を学生たちに推奨する一方で、卒業生たちが持ち続けてほしい「変わらないもの」はありますか?
 学校のテーマにもなっている「東魂」ができた経緯には、私も少し関わっているんです。川越東高には3つのテーマがあります。「チャレンジャー精神」「理性と知性を持って行動する」「相手の気持ちを思いやる」。この3つは学校の掲げる「文武両道」を具体化した発想です。この思いはずっと変わらないでほしいですね。

――2014年で開校30周年を迎えましたが、1期から携わる先生としては一層感慨深いものがあるのではないでしょうか?
 もう、「教え子の子ども」が学校にいますからね(笑)。いまの部活にも3人いますけど、彼らは親から「昔は厳しかった」って聞いているみたいですよ。
 こうやって、子どもの成長を見守るのは、本当に楽しいです。特に部活はそう感じますね。上手い子ももちろん入ってきますけど、初心者や中間層の子たちががんばって練習して上と戦えるようになるのを見るのはうれしいですね。伸びしろがあるから、根気強く見守って指導したくなります。
 それでも、部活の指導は、自分たちの力は10%ぐらいです。あと90%は自分たちの力。学校では先生がいるけど、社会人になったらどうあっても自分の力でやらなきゃいけない。そういうことを身につけていってもらえれば。

――同窓会についてはどのように期待していますか?
 立ち上げの時は私も関わっていたんですが、同窓会によるいまの奨学金制度ができたのは生徒の援助が緊急で必要になったからです。これからもOBが集まる機会を作ってもらって、最終的には現役生の支援をしてもらえたら。人間誰しも、20年経ったら落ち着くじゃないですか。だから40歳ぐらいで集まれるような機会を、学年ごとに作ってもらったりしたらどうかなって個人的には思いますね。これからの同窓会の活動に期待していますよ。

佐々木先生は今日も、生徒たちの成長を楽しそうに見守っていました。