■プロフィール
伊藤賢治
1968年7月5日生まれ。東京都板橋区出身。川越東高等学校に創立時の第1期生として入学。卒業後、専門学校を経て、株式会社スクウェア(現・株式会社スクウェア・エニックス)に入社。同社のゲーム作品である「サガ」「聖剣伝説」のシリーズなど多数の音楽を担当し、2001年にフリーの作曲家として独立。現在はゲーム音楽作品を始め、舞台・TVアニメ等の劇伴、シンガーへの楽曲提供及びアレンジ、各種プロデュース等、幅広い分野で活躍中。




――まず一番最初に気になっていたことがありまして、伊藤さんは板橋区出身と聞いているのですが、都内出身にも関わらず川越東の1期生になったというのが珍しいなと思いまして、どういう経緯で川越東を知ったのかを教えていただけますでしょうか。

(伊藤)あ、出身は板橋区なんですが、育ちは埼玉の大宮なんですよ。4歳からずっと。いわゆる東京生まれの埼玉育ちですね。当時は自転車での通学でした。

――そうなんですね。スクールバスはあまり使わなかったですか?

(伊藤)そうですね、旅行行事の時くらいで。当時はスクールバスでスキー旅行に行っていたというのも1期生の頃ならではの話というか。
(須田)それだけ生徒も少なかったってことだよね。しかも2年間とも上越国際だったという。

――今では様々な設備が出来て校舎も広くなってきています。創設当時とはだいぶ異なっていると思いますので、当時の状況を1期生として見てきた高校と比べてのお話をお聞きしたいと思っております。

(伊藤)まず、比べるも何も校舎が一つしかなかったよね(笑)。 今の半分くらいしか。生徒人数も全校で100人切るか切らないかくらいだったかな?
(須田)100人いかなかったんだっけ?
(伊藤)確か卒業までに何人か減って100人をギリギリ切っていた気がした。

――ちなみに何クラス構成だったのですか?

(伊藤)1年次は3クラス、2年次は2クラス、3年次は3クラスだったような。2年次に減ったけど、3年次で進路選択で分ける形で3クラスに戻ってたんだっけ。

――ヤンチャな生徒も多かったんですか?

(須田)まあ何人かはいたかもしれないけど、みんな仲良かったよねえ。
(伊藤)確かに仲良かったよねえ。
(須田)ヤンチャ系、真面目系も含めて色々な人はいたけど、そもそもの人数が少なかったので、和気藹々という感じで。

――ほぼ全員と面識があるような形ですか?

(須田)うん、ほぼ全員と。
(伊藤)授業によってクラスが変わったりしてたよね。「じゃあこれから次の授業のクラスに移動しまーす」みたいに。
(須田)先生も少なかったってことなのかな。ただ、先生もそんなに年齢が離れてなくて、みんな20代だったよねえ。
(伊藤)そう、やや上の方の田中先生や一番上の佐々木先生も30歳前後だったかな。
(須田)あとは斉木先生、瀬戸先生もみんな若かった。

――今挙げて頂いた4名の先生はまさに第一期からずっと川越東にいらっしゃる先生方ですね。ちょっとまた「なぜ川越東に?」という経緯の話に戻るんですが、お二人が新設校である川越東を選んだ理由をお聞かせいただきたいです。

(須田)当時の公立高校は割と荒れていたところがあって。川越東は新設校とは言えど、姉妹校である「星野」のブランドがあったから、「へー、星野が男子校作るんだ~」という感じのイメージがあったかな。
(伊藤)自分はあんまり細かいところはなかったですね。まあ数あるうちの一つというくらいでしたね。たまたま川越東だったという。あまり「川越東だから」という理由はなかったと気がます。
たまたま中学の吹奏楽部の先輩が星野女子高校に行っていたというところもあって、星野というブランドも聞いてはいましたが、それが決め手だったわけではなかったです。まあ、いくつかを経て川越東に来たという(笑)

――当時自転車通学で通えるレベルの所にいらっしゃったというのは意外でした。

(伊藤)自宅から20分くらいだったかな。治水橋を越えたくらい。
(須田)治水橋を渡るのとか辛かったよねえ。
(伊藤)そう、まず風強いし(笑)
(須田)うん、もう横殴りだし、斜めに自転車走ってることあったよ(笑)道も今のように広くなかったしね。

――なるほど、やはり当時も大宮方面の鬼門は治水橋なんですね(笑)


伊藤さんも川越東に通学するために自転車で通っていたという治水橋。
川越東~大宮方面間において避けて通れない交通の要所。

――ここでまた第1期についてお話をお聞きしたいんですが、人数が少ない中で部活動や文化祭などがどのように行われていたのかが気になっています。伊藤さんは吹奏楽部に入られていたと伺っていますので、部員の集まりや楽器の購入やら本当にゼロベースで進めていったんじゃないかと思いまして。

(伊藤)吹奏楽部は10人いなかったです。オケとしては成り立たなかったので、ビッグバンドスタイルで活動してました。後は、バンド活動に興味がありそうな人が来て、遊びながらドラム叩いたりしてました。ギターにアンプ担いできてジャーンと鳴らすようなこともあって、半ば軽音楽部的な感じで演ったりとか。それはある意味顧問の先生も黙認していたみたいで。いざ「部活やるぞー」となると片付けてじゃあ次の部活に行くわみたいな流動的な人の動きもありましたね。

――部活動の発表の場はあったんですか?

(伊藤)コンクールは人数の関係で出られなかったですね。3年生の時に初めて出たのかな。1年目の時はコンクールのワンコーナーの感じでビッグバンド的な演奏をしました。当時は瀬戸先生が顧問でした。
また、その当時はTM NETWORKなどの影響でキーボードとかシンセサイザーが流行っていて、その一番人気機種でヤマハのDX7というのがあって、自分では買えないのですがどうしてもそれが欲しかったんです。だから、どうやって瀬戸先生を説得しようかと考えていました(笑)
(須田)そっちかい(笑)
(伊藤)それでコソっと言ってみたら、「個人的に欲しいから俺が買うよ」と言って瀬戸先生が自腹で買われたんですよ。そしてそのまま部活の名目でそのDX7を借りていました。おかげで色々出来ましたので、それには感謝ですね。

――え、じゃあ川越東には伊藤さんが弾いたDX7があるのですね(笑) 文化祭ではYMOを演奏していたと聞いたのですが。

(伊藤)当時はそうでしたね。

――一期だとまだ体育館や大講堂はおそらくなかったですよね?

(伊藤)演奏場所は音楽室だったかな? 確か1年生の時は文化祭はやらなかったです。2年生の時からだったと思います。

――1年生の時は文化祭がなかったというのも驚きです。また、今の川越東の文化祭のイメージともちょっと異なりそうな感じがします。

(須田)今では文化祭はお笑い芸人を呼んだりしてるみたいだしね。
(伊藤)あ、そうなんだ。自分達の頃は手作り的な出し物しかなかったかなあ。
(須田)逆に星野女子の生徒に手伝いに来てもらっていたよね。まだ人数が少ないからイベントを盛り上げようという感じで。
(伊藤)確かに男子校のノリはあったんですよ。ただワイワイワチャワチャとした手作り感に溢れていて、正直、発表会なんかも「これを見て誰が得するんだろ?」という感じでした(笑)もちろん当時は一生懸命でしたけれど。そういう意味ではちょっと独特だったかもしれません。

――人数が少ない中で作っていくことで団結力のようなものがさらに増していきそうな気がしますね。

(須田)クラス対抗の体育祭も盛り上がったよねー。

――自分の代はクラス数がかなり多かったこともあって、話をしたことがなく卒業しまった同窓生もたくさんいるので、そういった雰囲気は羨ましいですね。

(須田)文化祭も外に見せるというよりも自分たちが楽しむために、盛り上がるためにやっているところがあったよね。
(伊藤)俺は発表会に親を呼んだりしたよ。でも他に親は誰も居なくて1組だけ世代が突出しているという(笑)
(須田)ビラ配りとかもやっていなかったしね。

――私達の代は「集客」目線が強かったです。他校と来場者数を争うようなところもありました。

(伊藤)当時は洋楽の「We are the world」が流行っていたので、文化祭ではみんなそれを真似してコスプレでマイケルジャクソンやらなんやらになり切ろうとしてフィルム回したりして自由にやっていましたね。本当、誰が得するんだという感じですが(笑) 
100%自己満足の世界だけど、あれはあれで楽しかったなあ。

――もうみんなで肩組んだりして(笑)

(伊藤)そう、スティービーワンダーになり切ろうとしている奴はずっと首振ったりしているとか(笑)

――もうクラスの半分くらいが参加してそうな感じですね。絆が凄くありそうです。

(伊藤)この代には今でもカルチャーな仕事をやっている人が実は多くて。ドラクエなどのイラストで有名なかねこ統くんも同じ代ですね。
例えば現在、(千代田区の)内幸町にある内幸町ホールの館長である関根くんも実は同級生です。
自分がスクウェアを退職して、フリーランスの作曲家になった時、ちょうど2001年頃だったんですが、その3年後くらいだったかな、自分名義のコンサートを行う際に、何処のホールを探そうかとしていた時、たまたまその制作を任せていたところが「内幸町ホールってあるんですけど」という紹介を受けたんです。
それで、そのスタッフたちと行ってみたところで「館長の関根です」と紹介をされて「うーん、この顔どこかで見たような。。」と(笑)
一瞬、「おや?」っていう感覚になって、そこから「もしかして、、」となって気が付いたという。
これはもう感動の体験でした。

――うわぁ、それは本当に凄い体験ですね。

(伊藤)結果的にその内幸町ホールで自分の第一回目のソロコンサートを行なうことが出来たんです。200人の会場だったんですが、満員にしてくれて。自分名義のコンサートのスタートはそこでしたね。

――そう言えば、伊藤さんがゲーム音楽を知ったきっかけになった出来事というのが、実は川越東時代にあるという話を須田さんから伺いまして。

(伊藤)そう、宮田くんね。彼の家でドラクエをやったところでね。

――先程のファーストコンサートの話も含め、伊藤さんの歴史にもやはり川越東は凄く絡んでますね。

(伊藤)今日同席してくれてる彼(須田さん)も自分の中で重要なファクターなんですよ。とても洋楽好きで、自分はあまり洋楽は詳しくなかったので、「こういうの一緒に聞こうよ」「これ面白いよ」と情報を提供してくれたのが今の糧になったというのはありますね。まあ褒めるわけじゃないんだけど(笑)
(須田)よくイトケンの家に行って、お茶飲んでおせんべい食べながら、イトケンが作った曲の感想を言っていたりしたよね。それとTM NETWORKやさだまさしの話をしたりとか。
(伊藤)やっぱり似ていたんですよ。そういう好きなものとか注目する部分とかが。フルコンポやスピーカーなどの音響の話していたかなあ。それと、彼(須田さん)は情報が早いんですよ。「こういうのが流行っているんだよ」と薦めてくる。買えないのにね(笑)
(須田)宮田もそんな感じだったよね。
(伊藤)そういう趣味が近いグループだったんですよ、ウチらは。
(須田)そう、音楽やゲームが好きな感じ。


一期生の中で仲が良かったグループのメンバー。当会が主催した第1回川越東同窓会に参加いただいた際のご様子(左:宮田さん、中央:須田さん、右:大澤さん)

――まさに我々も同じような同窓生グループです。音楽やゲームが好きで集まっているような。でも、それがさらに後の仕事に繋がっていて、今でも友達関係が続いているのがさらに凄いです。

(須田)そうだねえ、もう結構長いよね~
(伊藤)音楽では、当時ヘビメタも流行っていて、そっちに行く奴と、ウチらのようなどちらかというとポップスやニューミュージックが好きというので同じ音楽が好きな人でも多少別れてはいたんですよ。

――そんな伊藤さんが後にヘビメタの曲を書くことになるという(笑)

(伊藤)そう、不思議な運命ですよねえ(笑)

――作曲などのクリエイターとしての活動というのは、高校時代以前からもなされていたんですか?

(伊藤)ピアノを4歳から始めたところがスタートでした。作曲らしきものも10歳から行なっていて、そういう意味ではずっとそういう流れではありました。

――川越東でも1期生であったところから、何もないところから作っていくようなクリエイティビティが育ったところもあったりもしましたか?

(伊藤)いや、そんな大層な感じでもないですよ。後付けではそう取れるかもしれないけど。
(須田)自分達ではそんな意識していなかったけど、比較的自由なところがあったのかもしれないね。
(伊藤)先生も若くて血気盛んだったしね。
(須田)そう、もう兄貴的な感じ。
(伊藤)そういや先生に下ネタ話なんかも振ったりしていたっけ。
(須田)でも女の先生にはちょっかい出せなかったりするんだよね。みんなウブだから(笑)
(伊藤)そう言えば、若くてきれいだった音楽の実習生の先生なんかもいたよね。その先生が実習が終わりを迎えてそろそろお別れですという際に、自分が作った曲を聴いてもらいたくて、ちょっとその先生の所へ行ったことがあって。「実は作曲を行なっています」という話をしたらメチャメチャ興味津々で、それで自分の曲を聴かせてみたら目を丸くされて「凄いわね」と。そして「伸ばしなさい、その才能を。これからも頑張ってね」と言ってくれて、それは当時すごく大きな励みや後押しになりました。

――なるほど、プロとしてやっていこうところへの芽生えというのはそんな出来事がきっかけでもあったんですね。

(後編へ続く)

インタビューに同席いただいた同級生の須田さんと伊藤さんとの2ショット。30年来の友人ということもあり仲の良さが伺えます。


(おまけ)イトケンさん・ライブ参加レポート

本インタビューを担当したメンバー2名でインタビューから4日後の2/9(木)に青山にある「月見ル君想フ」で行われたイトケンさんのライブに参加してきました。
筆者はインタビューの後、どうしてもイトケンさんが音楽を奏でている姿を見たいと思い、行こうと思い立ったのですが、同席した後輩の同窓会スタッフはこのインタビューが企画される前から既にこのライブのチケットを購入していた20年来の筋金入りイトケンファンです。
(ちなみに彼はインタビュー終了後、イトケンさんと握手をした際にガチ泣きしたエピソードを持ちます)


当日ライブで繰り広げられたのは、ポップス、クラシック、ゲームミュージックをクロスオーバーしたイトケンさんの唯一無二の華麗な旋律。
シンプルにピアノを奏でる曲から、バイオリンとのコラボ、即興演奏など多彩な世界を披露いただきました。
そして最後の曲として、ベース、ドラムのリズム隊も加わりバンドスタイルで代表曲の一つである「聖剣伝説」のバトル曲「勇気と誇りを胸に」を披露。この時は観客も総立ちで体を揺らし盛り上がりました。
ちなみにリズム隊のお2人も「イトケン」を愛称とする方であるため、世界初(?)の「トリプルイトケン」のバンドであったのもとても面白い事実です。

また、イトケンさんはライブの合間のMCでとても多くお話をされる方で、当日はステージに立った最初から「今日は半分くらい喋ろうかなと思っています」と宣言していたくらいで、実際にトークが半分くらいに至っておりました。
お話されていたのは演奏する曲との想い出、製作時の秘話、ライブ演奏時での反応などで、色々な引き出しから音楽へのイメージを膨らませてくれるので聞いていてとても心地良かったですね。

拍手喝采のエンディング曲でアンコールを求めたお客さんに対しても、最後まで楽しんでいただくべく、当日一緒に出演した注目の若手ゲーム音楽演奏家であるサカモト教授とトークをし続けるというサービス精神。
そんなイトケンさんの汲めども尽きぬ音楽への情熱を一身に浴びて大満足の二人でしたが、当日は終演後に先日のインタビューの御礼に伺ったところ、運よくもイトケンさんの楽屋にて直接ご挨拶させていただくことが出来ました。


「今度川越観光でも行きますか」とおっしゃっていたので「ご案内しますので是非!」とご挨拶。
決めのイトケンポーズまでいただきました。このライブでますますイトケンさんに惹かれてしまい、インタビューは絶対良いものに仕上げるぞと心に誓ったその日でした。

今回のインタビュー前半でもイトケンさんの川越東在学中の様子からプロになってからの同窓生との出会いなど、すでにレアな話が目白押しですが、後半は高校卒業後から現在に至るまでのお話に始まり、最終的にはイトケンさんのクリエイター魂が垣間見れた濃厚なお話の展開となりました。
また、インタビュー読者の皆様向けにイトケンさんからのご協力を得て特別なプレゼントを御用意させていただくことが出来ました。(詳細は後程掲載させていただきます)
インタビュー後半もどうぞご期待下さい。掲載時期は2017年4月24日(月)の予定です。