■プロフィール
伊藤賢治
1968年7月5日生まれ。東京都板橋区出身。川越東高等学校に創立時の第1期生と入学。卒業後、専門学校を経て、株式会社スクウェア(現・株式会社スクウェア・エニックス)に入社。同社のゲーム作品である「Saga」「聖剣伝説」のシリーズなど多数の音楽を担当し、2001年にフリーの作曲家として独立。現在はゲーム音楽作品を始め、舞台・TVアニメ等の劇伴、シンガーへの楽曲提供及びアレンジ、各種プロデュース等、幅広い分野で活躍中。




――高校卒業後のお話を教えていただけますでしょうか。

(伊藤)自分は高校卒業後、結果的には専門学校に行ったんです。 一浪をしていたので普通の大学に行ってバンドを組もうというような想いはあったんですが、実は大学受験に向けた勉強への意識に対して「もうやりたくない」とガス欠を起こしてしまった感じになってしまって。そこでどうしようかなあと考えているうちに知ったのが後に入学することになる専門学校でした。そしてそこのクラスでも1期生だったという(笑) 先生方もどう進めていいか手探りなところがあったりして、「あー、またこういう世界に来てしまった」という感じで(笑)
(須田)でも結果的にはそこで大学に行かなくて良かったよね。それで大学に行っていたら作曲家のイトケンはいなかったかもしれないし。
(伊藤)まあ今となってはそうかもね。タラレバではあるけど、分からないもんだよねえ。

――専門学校に入ったことによってこそ学べた部分や大きな収穫があったところがあったんですか?

(伊藤)その専門学校の講師だった方とは今でもお付き合いがあったりしますよ。
(須田)当時も名だたるゲーム会社が色々とあったと思うけど、そこに行かなかったから今があるっていうのもあるんじゃない?
(伊藤)そうだね、その専門学校で卒業間近になっていた時もゲーム音楽については歯牙にかけていなくて。それこそ当時のスクウェアはFFIIIを作成中の状況だったのかな、はっきり言ってまだ売れていなかった時でもあったし、「ゲーム? ピコピコでしょ?」という偏見のようなものも自分の中にありました。

――当時は所謂「ゲーム音楽」というジャンル自体も明確に存在していなかったように思います。

(伊藤)そうですね。でも自分としては「作曲をしたい」という想いがまずあったんです。ただ、そうするとなると当時は誰々先生の弟子になるとか、スタジオから入ってそこで縁を作ってチャンスを作るかくらいしか機会がなくて。専門学校と縁があるスタジオにも行ったんですけれども、そこのチーフから「君の考えていることはウチ向きじゃないよ」と言われたんですが、
「君は作曲を頑張りなさい。それでもうどうしても詰まって行くところがなくなったらここに来なさい」
という凄く親切なアドバイスをいただいたんですよ。そこからまた「頑張ろう」という気持ちになりましたね。そこからじゃあどうしようかとなった時、講師の方から「ゲーム音楽を目指すのはどうだい?」という話を聞いて、ふと高校時代の宮田の家でやったドラクエをふと思い出したんです。
(須田)それで「ああ、あれか」という感じだったんだね。
(伊藤)そこですぎやまこういちさんの名前なども聞いて、「あ、すぎやまこういちさんは知ってるなあ、でも有名なのってすぎやまさんくらいだよなあ」と当時は思っていたんです。でもちょっと辿ってみるとブームが来そうだという気配が感じられたんで、「チャレンジしてみてはどうだ?」という先生の後押しも受けて、ゲーム会社の試験を受けてみることにしました。
そこから色々とデモテープを出して、結構良いところまでは行ったりするんですけど、最終的には「ウチにはちょっと合いませんので残念ながら、、」という落選が5、6社と続いてしまって、「あと3社受けてダメなら自分には才能がないと思って諦めよう」と思ったところで受けたうちの1つがスクウェアだったんです。

――でもその直後のFFIIIでの大ブレイクは周知の通りですから、新しい時代が切り開かれる一歩手前でスクウェアに入ったというのが奇跡のようなタイミングに思います。

(伊藤)社員もまだほとんど20代で、開発部の最年長が当時30歳だったFFの作曲家である植松伸夫さんでした。とりあえずデモテープを出して合格をしたので「まあ受かったから行こう」という感じで(笑)
とはいえ、面接などでの人の感じが凄く良かったんで「この方達となら一緒に出来る」という感触も含めて、ファイナルファンタジーも知らなかったのですが「何か面白そうなことになるんじゃないか」ということは感じていました。そうしたらFFIIIでドーンと行ったという(笑)

――一番最初にスクウェアで担当されたのは何というタイトルだったんですか?

(伊藤)「Sa・Ga2 秘宝伝説」ですね。


「ロマンシング サ・ガ」シリーズの楽曲を伊藤さんがリアレンジした曲を収録したCD「Re:Birth II」
(サインはインタビュー時伊藤さんからいただいたもの)

――私たちがまさにバリバリやり込んだタイトルです。ちょうどゲームボーイ全盛の世代なので。もちろん音楽もよく覚えています。ちょうど高校の時にやっていたこともあって、DSでリメイクされて改めてSa・ga2の音楽を聴いた時は高校時代を思い出したんですよ。その曲をまさか東高の卒業生の先輩が作っていたとは思わなかったですね。
聖剣伝説なども何度もやりましたし、もう身体に染み付いてます。ゲームの映像と曲で当時のことを思い出して涙が出るくらいなんです。

(須田)本当に好きなんだねえ(笑)
(伊藤)去年(2016年)に行った、聖剣伝説のコンサートではスクリーンにゲームの映像を映して曲を演奏していたら、一曲目からもうすすり泣きが聞こえるんだよね。だからもう客席向けない。俺も泣いてしまうから。
聖剣伝説は特別なタイトルで、自分が初めて1人で音楽を全部作ったタイトルなんです。デビュー作のSa・ga2は植松伸夫さんとの共同作でしたので、ソロデビューとしては聖剣伝説が初だったこともあり個人的にも思い入れが強くて。それと悲しい物語なんですよ。ずっと最後まで連れ添ったヒロインとどうしても別れなければいけないという…。そういうところから来る思い入れも含めてファンの人達は音楽で泣いてしまう流れがあるので、聖剣はコンサートも独特の雰囲気でしたね。

――あれは泣くしかないですよ、もう。ゲームの音楽で泣いたというのは初めての体験だったかもしれないです。

(須田)あー、もうなんか完全にマニアなスイッチ入っちゃってるね(笑)
(伊藤)聖剣伝説名義のコンサートは初で、しかも中野サンプラザで行なったんですよ。チケット発売後は果たして満員に出来るかという不安はあったけど、結果は満員で、来て頂いた方々からは「良かったよ~」と言ってくれたし。本当に感謝ですね。

――伊藤さんはご自身が作曲されたゲームについては実際にプレイされるんですか?

(伊藤)いや、やらないです、というかやれないんですよね。難しくて、もう(笑)
(須田)最後までなかなか行かないよね。
(伊藤)そう、途中まではちょこちょこやったりするんですけどね。

――ゲームについてはこういうイメージで作ってくださいというオーダーがあると思うんですが、ゲームは実際やらない中でどういう風にイメージされるんですか?

(伊藤)もの凄く明確なイメージをしますね。もう頭の中でアニメ化されています。ストーリーや台本が来るじゃないですか。そこから世界観やキャラクターなどのバックボーンを何度も何度も見て、もう声優さんも含めて喋っているイメージで空想しています。だからゲームというより劇伴(映画、ドラマ、アニメ、ゲームなどの物語の中に挿入される音楽)として作っています。
最終的にはゲームの音楽だけれども、アニメにもテレビドラマの曲にも出来るしという所を根本的に意識した曲作りはしてますね。

――最近は歌モノのお仕事もされていらっしゃると思いますが、そこと明確に区別されていることはありますか?

(伊藤)メロディについてはないですね。自分の劇伴というのはまずメロディありきなんで、そこに歌詞が乗っかってもおかしくない曲作りなんです。
Too much過ぎるアレンジの曲に飽きているところもあってメロディを歌わせたいんですよね。そうしないと自分が納得しないところがあります。逆に、それが自分のオリジナリティになったようですね。

――それがいわゆる「イトケン節」ですよね。いやあ、もう十分色々な話を聞かせて頂いていて、お腹いっぱいな位なんですが、今回のインタビューの趣旨の一つに、川越東から伊藤さんのような著名な作曲家が出ているところから「どうすればイトケンさんになれるのか?」というところをテーマにしようとしていたところがありました。今までの話の中で10歳位から作曲を始めて、その後色々な人の刺激を受けてここまで至ったということを知ったのですが、やはり高校時代くらいには確固たる想いでいないといけないのかとか、高校時代の過ごし方のようなものがあれば教えていただきたいです。

(伊藤)小学校の卒業作文には「シンガーソングライターになりたい」と書いていましたね。確かにそういった想いについては頑固だったかもしれません。
今でもそうなんですが、「何かをしたい」とか「こうありたい」ということを常に口に出すようにしているんです。その場では直接関係なかったことも何年か後に「伊藤さん、そう言えばこういうことやりたいと言っていたよね。こういう人がいるんだけど紹介するよ」というのが来たりするんですよ。そんな風に言霊となって突然現れたりするので、そういうことは口に出して言った方がいいですよ、絶対に。

――「こういうのが好きだ」というのを口にすると誰かがそれを覚えていてくれるという話ですよね。

(伊藤)まさにそうですね。ただ自分で漠然とあれやりたいこれやりたいと思うだけではなくて、自分の想いが誰かに伝わってこそのものだと思います。
(須田)なるほど。今日イチだね、今の話は。
(伊藤)まあ実際になることが出来たから言えるんだけどね(笑)
中野サンプラザでのライブの前は渋谷公会堂でも行ったんだけど、もう何年も前からやりたいやりたいって言っていたところが叶ったりして、これは嘘じゃないなと。


聖剣伝説コンサートでは2000人を超えるキャパシティを持つ中野サンプラザがSOLD OUTする大盛況となった(写真は中野サンプラザ)

――やり続けるということと口にするというのの合わせ技ですね。これまでの話から人との縁の重要性も感じました。

(伊藤)もちろんそうですね。人とはくっ付いたり離れたりを繰り返したりもしますが、自分さえブレなければまた再会できる機会はあると思います。でも、自分がブレまくっていたらせっかく掴んでいた縁も離れて行ってしまうので、ブレないことの重要性があると思いますね。
(須田)うわ、また名言。もうイトケン名言集出せるんじゃない?
(伊藤)実はこう見えて、洗足学園音楽大学の客員教授ですから(笑)年に2回だけど。でもそこでは音楽がどうのというより音大生に対して根性論ばかり語っているという(笑)

――やはり音楽理論よりもブレないことが重要ですよね。逆に今まで伊藤さんがブレてしまったような失敗というのはあったりしたんですか?

(伊藤)自分が振り返ってみると、それはないですね。逆に言えばそこしか自分に自信があることがなかったので、そうなると突き進むしかないんですよ。そうすると自分を評価してくれる人が必ず現れて、「コイツ面白そうだな」と思ってくれたことから、強固な縁が生まれるんです。それは年上年下、地位の高い低いではなくて、なるべく平等にして、最低限の敬意や常識を外さなければ色んな世代の人との交流も出来るし、縁も繋がるじゃないですか。

――伊藤さんがバックバンドのメンバーが結婚したという話をライブのMCで延々と語っていたのを見たことがあるんですが、そういうのを見ても縁や絆を大事になさる方なんだなと思いました。

(伊藤)聖剣伝説コンサートでのバックバンドは自分が初期に一緒にやっていたメンバーばかりなんですね。7、8年前に一緒にやった仲間とは自分達の技術が向上する中で付いたり離れたりだったのですが、カッコいい言い方をすると、その仲間に「恩返しがしたい」という想いがありました。 中野サンプラザは大きいし、有名じゃないですか。中にはサンプラザは初めての方もいたんですよ。だったら恩返しが出来るかなという感じで、じゃあ当時の人と一緒にやりたいというところで集めたメンバーだったんです。

――なるほど、自信があることをブレずにやり続けることが大事で、それが縁にも繋がっていくということなんですよね。

(伊藤)それとともに、色んなところにアンテナを張るというのも必要だと思いますね。でもじゃあどういう風にアンテナを張ればいいんだということがあるじゃないですか。そう言ったアンテナを張るということの先にある「アンテナの張り方」として自分が音大生にも伝えたのが、「専門外・分野外の部分でもどこかしらにヒントがある」ということです。
それはファッション、広告、テレビCMなどでも自分が嫌いなものでも何でも良いんです。そこから何かしらヒントになりそうなものを見つけて、自分の中で消化して、それがいつかどこかで出てくるのかもしれないからそれをきちんと把握しておいた方がいいよということを伝えてました。
ミュージシャンである小室哲哉さんがTM NETWORKとしてのグループ活動を終了して、安室奈美恵さんなどへのプロデュース業を始めた頃のインタビューで、ジャケット掲載での文字の出し方やフォントだとか、またどれくらいの文字の比率が良いかといったことなど研究して、何故それがモードとなっているのかということを自分で消化して紹介するのが自分のプロデューサーとしての役目だということをおっしゃっていたんです。
それを聞いて、それこそ目から鱗だったんですよ。そんなことまで研究しているのかと。それはもう金言ですね。「専門外でもアンテナを張るというのはこういうことか」と。

――うーん、なるほど。それがあったからこそ小室さんがあの当時メインストリームのど真ん中いられた訳なんですね。

(伊藤)世の中には色んなモードがあるじゃないですか。それがたとえ専門外だったとしてもどう自分の専門分野に取り入れるかというのがプロデューサー視点なのかなと思いますね、きっと。
(須田)凄いなあ。イトケン、ビッグになったねえ。
(伊藤)自分はバックボーンみたいなものがしっかりあるというよりは現場主義だったから、貪欲に取り入れていかないと太刀打ち出来ないんじゃないかと思っていて。自分が書いた曲をどれだけ理解・解釈してくれるかというのは説得力だから、「自分はこういうものです」というのがどれだけ勝負に出来るか、力を持てるか、大事なのはやっぱりそこだよね。


伊藤さんから川越東同窓会宛でCDにサインをいただきました。

――学生時代からも音楽に対してそういう想いで活動されていたんですか?

(伊藤)いえ、学生時代ではそこまで考えることはなくて、ある意味普通の学生でしたよ。この考えに至ったのはスクウェアで経験を積み、その後退職して「自分はどう生きていくか」ということでの腹を括ったからだよね。
やはりフリーになる頃に「独りでやっていかなければいけない」という危機感を凄く持っていて、そこから自分はこういなきゃいけないという使命感を抱いたというのが今までの発言の部分にもあるんだと思います。そう行った独立など色々とあった過程の中で自分が突破してきた部分が今のキャリアとなってきているので、経験則としてこういうことをするのはどう?ということは言えるんですよ。
でも色んな選択肢や可能性がある中で、結局それを選ぶのはあなただよと、最終的な決めは本人が考えるべきものなんです。もし仮に俺と同じ道を歩んだところで君は俺と同じようにはなれないかもしれない、でも逆に俺も君にはなれないとも言えますし。
ですので、客観的なものとして自分の意見を何らかの形で参考にしてもらえるのであれば嬉しいですね。

――選択肢が多い世の中になっていますからね。そういった経験則などを示していくことによって、最終的な判断が的確なものに持っていけるのを助けるのが大人の役目なんじゃないかなと思いました。

(伊藤)それと、失敗が次の糧になるための材料に出来ると思えるくらい姿勢が良いと思いますね。若い時ほど、失敗すると「ああ、もうダメだ」と思ってしまいがちじゃないですか。自分が子どもたちによく伝えているのが、「タフになれ」ということなんです。これから社会に出て行くと、色んな理不尽なこともされるかもしれないけれども、そこで潰されたりするのはつまらないでしょ、と。
だから1、2日は泣いてもいいけれども、3日目には立ち上がって、新たな一歩を踏み出すくらいのタフさを身に付けることが凄く大事だと思いますよ。
(須田)上手いねえ、キレイな締め方をした(笑)

――おあとが非常によろしかったようで。こちらで聞きたかったことの核心にまで迫れた濃厚なインタビューが出来たように思います。本日はお忙しい中本当にありがとうございました。


同窓会インタビュー担当者と記念撮影。


*この記事をご覧いただいた方へ

最後までご拝読いただき大変ありがとうございました。
伊藤さんのご厚意によりCDにサインをいただきました。このCDを読者の川越東卒業生限定でプレゼント致します。
ご希望の方は住所・郵便番号・氏名・メールアドレス・電話番号を記載の上、下記リンクのフォームより「伊藤賢治さんサイン入りCDを希望します」と明記の上、ご希望のCD名(お一人様につき1枚限りとなります)とともに、川越東の所属期または卒業年度を記載の上ご応募下さい。
また合わせて本記事のご感想などを添えていただけると幸いです。 http://www.kawagoehigashi.jp/contact

ご応募の締め切りは2017年5月31日です。
なお、当選の発表は、賞品の発送をもって代えさせていただきます。

対象賞品以下の3枚になります。
  • パズル&ドラゴンズ オリジナルサウンドトラック イトケン・リミテッド Soundtrack
  • Re:Birth/聖剣伝説 伊藤賢治アレンジアルバム
  • Re:Birth II/ロマンシング サ・ガ バトルアレンジ