■プロフィール
 1983年8月30日生まれ。埼玉県川越市出身。
 埼玉県川越市初雁中学校を卒業後、川越東高等学校16期生として入学。卒業後、駒澤大学経済学部商学科に進学。その後、同大学大学院商学研究科修士課程、立教大学大学院経済学研究科博士課程後期課程を経て、現在は立教大学経済学部および駒澤大学経済学部で講師として学生への指導を行っている。
 川越東在学中は3年間新聞文芸部に在籍し、また、生徒会役員を2年間務め、1年目に会計役、2年目に生徒会長を歴任した。







――本日は宜しくお願い致します。まず、鈴木会長の経歴についてお聞きしたいんですが、博士課程まで進学したんですね。

 ええ、別々の大学ですが、修士と博士課程に進みました。いわゆるマスターコースとドクターコースですね。そこまで進学させてくれた両親には本当に感謝しています。

――大学に入ったタイミングから大学院に行きたい思いがあったんですか?

 いえ、実は全く考えていなかったんです。大学の学部時代にゼミで勉強をしているうちに楽しくなってきていることに気が付いて、それを掘り下げていきたいと思ってきたのがきっかけですね。

――ずっと経済学が専門でいらっしゃるんですか?

 大学時代の専門と大学院での専門は少し異なっていて、大学では、ゼミで日本経済史を専攻していました。元々歴史が好きだったことが専攻の理由でしたが、そこでは企業の歴史を調べることが多かったんです。その中で財務に関するデータなどで会計の数字を見ることが多くなっていって、しだいに会計学の分野に面白みを感じていったんです。
 そんな中でゼミの先生に相談したところ、「大学院に行って掘り下げて勉強することもできる。大学院に進んでみたらどうか」というお話をいただきまして、そこから専門を会計学に変更して大学院へ進学しました。専門性は異なりますが、会計学においても大学で学んだ歴史的なアプローチが生かされている部分が多くありますね。
 今では、学部と修士課程でお世話になった駒澤大学と、博士課程でお世話になった立教大学で、講師としての仕事をさせていただいております。

――元々教員になりたいというような想いはあったんですか?

 大学、大学院の頃に塾の講師のアルバイトをしていたので、教えることの面白さは感じていたんですが、教員になろうというよりはどちらかというと研究に興味が寄っていったため、研究者になりたいという思いが強かったように思います。
 いろいろ考えた時期もありまして若干時系列があやふやなんですが、色んなことに興味を持ちつつ、最終的に研究職を目指す方向に行き着いた感じです。

東高・新聞文芸部の部室前にて

――なるほど。ではもう少し過去に遡ってのお話をさせていただこうと思いますが、やはり川越東時代の活動が現在と繋がるところがありますか?

 勿論あると思いますし、かなり強いつながりがあると思います。新聞文芸部に入部したのは入学相談会で見たチラシがきっかけでした。廊下の壁に「新聞文芸部 部員大募集」というチラシが貼られていたんですね。中学時代から文章を書くのが好きだったんです。すぐチラシに目が行きましたね。東高に入学できたら新聞文芸部に入ろうと、心の中ではそのときに決まっていました。
 私は文芸の艦隊(部誌)の執筆よりも、取材活動による記事作成を担当することのほうが多かったです。当時は手書きで記事原稿を書き上げ、印刷会社と何度も折衝しながら作り上げていくスタイルでしたね。

――確かにそれはなかなか出来ない経験かもしれないですね。

 まさに作成現場という感じでやっていたように思います。時間も労力も掛かっていたとは思いますが、記事が出来た時の達成感は大きかったですし、今振り返っても楽しかった思い出です。
 また、部活動経験の中で最も役に立ったと思うことは、新聞文芸部の活動を通して文章を書く力を鍛えられたことです。さまざまな記事を担当したことで、限られた文字数の中でどうすればわかりやすく伝えられるか、ざっと書いた記事の原稿を読み直し、どの部分を残してどの部分を削ればいいかということを自然に意識出来るようになりました。当時はそれでも試行錯誤の連続だったのですが、自由に活動させていただいていましたし、分かりやすく伝える、纏めるという部分で今の仕事でも大いに役立っていると思います。

新聞文芸部顧問の熊谷先生と鈴木新会長

――新聞文芸部は全国大会にも参加していると伺っています。

 そうですね、私の一つ前の代から全国大会に参加するようになりまして、私も2000年の静岡で開催された大会に参加させていただきました。

――文化部の全国大会というのはどういう雰囲気なんでしょうか。

 百人一首部門や囲碁部門、将棋部門など、運動部の大会のように対戦して勝ち上がっていくという方式のものもありますが、新聞部門の場合は、全国から参加している高校の部員同士でランダムに5~6名ぐらいずつの班を作って、課題を渡されてこなしていくような形でした。どの高校の生徒と同じ班になるかは当日までわからず、まったくの初対面でした。
 競い合うというよりは交流に近かったですね。班で組んだ高校の生徒と一緒に取材に行って記事を作るようなことをしました。それを当日中に記事化して、即席の交流新聞を発行したりして。私は日本平に取材に行った際の記事を作りました。

――その場であまり予備知識なく、取材にいくような感じですか?

 そうですね。どこに取材に行くかということも当日までわかりませんでしたし、割と出たとこ勝負でしたね。あとは取材先で、地元の方々から直接インタビューして情報を集めるという感じでした。

――色んな取材をしていた中で一番印象に残ったものは何になりますか?

 一つ挙げるとするなら、「ひんがし倶楽部」の取材で埼玉新聞社を訪れた時のことです。記者の方たちに実際に紙面の作り方を教えていただいたり、記者としての心構えやモットーなどを聴かせていただいたりしまして、非常に貴重な体験だっと思います。それとともに、こちらからも東高の新聞をどのように作っているかお話したのですが、「結構本格的にやっているんだねー」と感心されたのを覚えています。
 当時は部員自体はそこまで多くありませんでしたが、少数精鋭部隊としてボトムアップで意見を出し合い、年々全員で力をつけていく感じでした。その意味でも部員同士での結束は強かったですね。

――そういった様々な活動などを行っていく中で、新聞記者になりたいような気持ちは生まれなかったんですか?

 うーん、私自身は新聞記者になりたいとはあまり思わなかったですね。
 硬派な論説で健筆を振るいながら本気でジャーナリストに目指しているような部員もいたのですが、私自身が深みにハマりやすい性格だったところもあって、突き詰めるとかなり大変なことになってしまいそうな気がして(笑)。

――新聞文芸部は、OBとの交流も積極的に行われていると伺っています。

 そうですね、私が在学していたころも、OBの方々が翔鷺祭で発行する文芸の艦隊へ寄稿くださったり、夏休み中の合宿にもいらっしゃったりしました。そういった部分では多くの先輩方と交流する機会に恵まれました。顧問の熊谷達範先生には、東高在学当時から現在までお世話になっています。卒業後も顧問の先生とのつながりが強いのも、川越東高校新聞文芸部の特徴ではないかと思います。

東高への「想い」を語る

――生徒会活動もなさっていたと思いますが、こちらのきっかけは何だったんですか?

 お名前を挙げさせていただきますが、1年生の時の担任だった鈴木祐子先生に勧めていただいたのがきっかけでした。自分の中でも、生徒会役員をやってみようかな、やってみたいなあという興味もあったところに、先生から直々にこのような声をかけていただいたのが決定打となって、会計に立候補しました。会計として活動を行っていく中で、当時の生徒会長から「会長を引き継いでくれないか」というお話もいただきまして、そのまま思い切って会長にというような流れでした。

――鈴木会長は学校を訪問する度に色々な先生から声を掛けられますよね。卒業してからの関わり方というのは、元々何か意識していた部分があったんですか?

 学校に伺ったときに先生方とお話させていただけるのは本当にありがたいことです。私が東高を卒業する少し前くらいに同窓会の話をいただいたのですが、自分は生徒会長を務めていたということで、おそらく卒業後は何かそういった活動に関わなるんじゃないかなということは、漠然とですが感じてはいました。そういう意味で割と必然的な関わりだったかもしれません。そして、その後学校と関わり続けられることが出来て、今に至ることが出来ている状況です。

――生徒会長になったということが今の同窓会につながっていったということですよね?

 そうですね。同窓会というところとの関連性は生徒会長だったことが大きかったことは間違いないです。同窓会活動を通じて学校との関わりが続いていることは本当に誇らしいですし、ありがたい、うれしいという思いが年々強くなっています。

――同窓会にももう15年くらい関わっていらっしゃるんですよね?

 東高を卒業して間もない時期から同窓会のお手伝いをさせていただいていますので、それくらいになりますね。関わりは長いんですが、活動が大きくなってきたのは比較的最近のことですね。それまでは懸垂幕と会報の発行といった活動が中心だったのが、情報発信がリアルタイムで出来るようになってきたこともあって、より積極的な活動が出来てきているかと思っております。
 東高の歴史も長くなってきましたので、卒業生ももう15,000名にもなります。そういった歴史が生まれてくる中で、同窓会というものの存在がより大きくなってきているように思います。その中で、在校生及び学校にサポート出来ることを同窓会として提供していきたいですね。
 今年(2018年)で同窓会も発足20周年になります。発足してから間もないころでしたのであまり基盤が確立しきれていなかった15年前よりも、もっと取り組めることがあるんじゃないかと思っています。

先代および先々代同窓会会長との3ショット

――今後の同窓会の取り組みとしてはどのようなことを考えていらっしゃいますか?

 今は特別に何か新しいことを始めようというよりも、これまで行ってきたことをより強固な形にしていきたいという想いがあります。初代の藤崎正悟会長からスタートして、吉岡伸浩会長、そして諸岡樹興会長と、この20年間で歴代の会長や理事の方々が築き上げてこられたものを、まずはしっかりと受け継いで、同窓会という組織の基盤をさらに固めていきたいという気持ちが強いですね。学校や在校生とのつながりを大切に、より確実なものにしていきたいと考えています。学校や在校生の支えとなる存在でありたいと思います。
 卒業生同士の親睦も深めていきたいです。現在展開している支部活動の普及、毎年開催しているイベントとしての同窓会などの規模を広げたりしていきたいですね。

 また、同窓会や学校の歴史や伝統といった今まで積み上げてきたものを振り返るというか、アーカイブのような形で取りまとめたり出来ないかとも思っております。卒業生にも協力してもらって、昔の資料保存のような形でアピールすれば今後にも残っていきますし、卒業生や在校生も関心を持っていただけるんじゃないかと。もちろん、今すぐにできることではありませんし、まだ将来的な事業としてできたらいいなというぐらいのものなのですが、学校や同窓会の歴史や伝統を残していく、伝えていくということができたら素晴らしいのではないかと、私自身は思っています。

――それは東高に関わる全ての人が面白く感じてくれそうですね。歴史的遺産にもなっていきそうです。

 そうですね。学校そして同窓会がここまで続いてきた歩みを活かしていきたいですね。そういうところから同窓会に親しみを感じるきっかけを作っていきたいと思います。

――なるほど、面白いことが始まりそうな気がします。最後に新同窓会会長として、在校生や卒業生にメッセージをお願いします。

 一言で言わせていただきますと、「同窓会の存在を知っていただきたい」ということに尽きます。ブログなどで色々な情報を発信していますので、まずはぜひアクセスしていただいて、同窓会がこんなことやっているんだということを見ていただければ嬉しいです。そこから何か新たなネットワークが作れればそこに同窓会の存在意義があるんじゃないかと思っています。
 我々もそういったことに応えられるよう、これから積極的に活動させていただきます。

――今後も鈴木新会長の同窓会でのご活躍に多いに期待させていただきたいと思います。本日はありがとうございました。