――今回、高木さんのことを知ったのは、ひんがし倶楽部の記事を拝見したことでした。川越東で講演をされたとのことですが、どういうことがきっかけだったんですか?
高校2年生の時の担任だった北村先生から声を掛けていただきました。以前、正智深谷高校で講演をさせて頂きまして、そのことが、正智深谷の先生から北村先生のお耳に入ったことがきっかけです。大変光栄なことに、川越東高校の2020年度版の学校紹介パンフレットでも、長幸一先生からお声がけいただき、卒業生のひとりとしてご紹介いただきました。
――なるほど、縁が縁を呼んだというような感じですね。川越東の話に戻りますが、高木さんが川越東を進学先に選んだ理由は何だったんですか。
そうですね、私が進学先を考える上で「文武両道」というのがすごく重要な考え方でした。
当時はどちらかというと、サッカーに重きを置いていまして、高校サッカーに思いっきり打ち込めて、かつ大学の進学も実現できる学校に進学しようと考えていました。その選択肢のひとつに川越東がありました。
――サッカーについては13歳の頃、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに留学されていたりと、かなり本格的に取り組まれていたと伺っております。
はい、できる限り大会レベルに挑戦しようと、Jリーグのユースチームのセレクションにも参加したりもしました。残念ながら、自分はそこまでのレベルではなくて、結果的には高校サッカーしか選択肢は残りませんでした。
中学の時には関東大会予選や県大会ベスト16くらいまでは進んでいた学校でしたし、幼馴染が浦和レッズのユースに所属していたり、周りがの友人がみんな上手かったので、自分も影響されたというところがあります。
高校卒業後は、フットサルに転向して25歳まで競技を続けました。全日本大学フットサル選手権に出場したり、関東フットサルリーグに所属する社会人クラブにも所属していました。自分の実力は全くなかったのですが、チームメイトが上手かったのでいつも助けてもらっていました。本当に良い思い出です。
――高校時代は主力だったんですよね。
試合には出場していましたが、決して主力とは言えません。ただ、全国大会の常連校でもある浦和市立高校と県大会の予選リーグで対戦した際に、自分がゴールを決めて勝利したのは良い思い出ですね。
川越東高校の先生の中では、やはりサッカー部顧問の山岸先生が印象に残っています。山岸先生は当時20代半ば、非常にサッカーも上手い先生でしたし、精神的な部分も指導していただきました。全国高校サッカー選手権の県予選が、高校3年の11月まで続いたので、受験勉強は3ヶ月程度しかできなかったですが、日頃の授業は全力で受けていました。
――川越東は人工芝のサッカー場を作るなどもしていますし、サッカーにも力を入れていますよね。
当時はチームメイトにも恵まれていました。高校3年の11月まで残ったメンバーのほとんどが、志望する大学に進学していて、まさに文武両道でした。そういう仲間に囲まれたというのは嬉しかったです。