■プロフィール

1988年2月16日生まれ。埼玉県川口市出身。

川越東高校卒業後、東京工業大学 情報工学部へ進学し、その後、同大学の大学院 情報理工学研究科へ。

2011年 大学院在学中に起業。2012年株式会社サイバーエージェントに入社し、2016年サイバーエージェント執行役員としてメディア事業を担当。

2020年6月株式会社コールドクター代表取締役として参画。

――本日はよろしくお願いします。

ではさっそく、ちょっとお話しを伺っていきたいのですけれども、時系列的に合田さんの経歴を振り返らせていただきます。これまでインタビューでだいたい最初にお聞きしているのですが、川越東に入学に至ったところについて、何か思い入れというか、きっかけといったところなどはあったのでしょうか?

 はい、僕は実は浦和高校で第一志望でした。親からも「浦高を目指せ」と言われていたような感じでした。ただ、僕は数学しか得意じゃなかったのと、社会や国語があまり得意ではなかったこともあり、5科目ある公立の試験で合格が難しくて。それで私立の滑り止めとして城北埼玉、西武文理、そして川越東を受けました。その中からなぜ川越東を選んだのかというと、理数科に特待生制度みたいなありますよね?

――ええ、確かありますね。

 確か全額免除がすごい特待生(A特)だと思ったのですが、僕はそこまでではなく、ゆるい特待生(B特)をもらっていて。それもあって理数科で入学しました。それと、僕が将来的に理数系に進む気満々だったので、それも理由になりますね。

――なるほど。やはり理数科出身だったのですね。経歴を確認させていただいたところでは早い段階から理系に進むということを考えられていたように感じました。 

 そうですね。理系しかできないぐらいだったので。

――理系文系の選択も決まっていたこともあって受験の結果を踏まえ、理数科に入学されたと。これまでにインタビューさせていただいた方でも、結構成り行きに入学されたな方が多くて、川越東に絶対入りたいというように思っていたという方はあまりいなかったです。私自身もそうなのですが、中学生の自分なりに色々模索した結果だったりするのですよね。

 はい、それと川越東のイメージを伝える言葉して「文武両道」という言葉があるじゃないですか。それはすごく好きだったですね。


「文武両道」は川越東の重要なキャッチコピー。

この言葉に惹かれ、入学するというケースも多い

――ええ、今でも川越東のキャッチコピーのような形でその言葉をプッシュし続けていますね。私は親がその言葉を気に入って、文武両道だからここに行ったほうがいいよとプッシュされたこともきっかけの一つでした。今年も野球部が頑張って、夏の甲子園予選で「文武両道の進学校が強豪の春日部共栄を破った」と記事になっているのを見て少し嬉しくなったりしました。合田さんは部活動はなされていたのですか? 

 アメフト部に入っていました。それまであまり経験したわけではなかったのですが、自分は新しいことが好きで、高校からから始める人が多いスポーツでもあったので初めてみました。 

――フィジカル的な激しさを持つスポーツをいきなりやろうと思ったってなかなかすごいなと思いますが、やはり激しかったのですか?

 ええ、当時は受験勉強に専念するというところから一旦抜けられたという解放感もあって始めたところもありましたが、やっぱり辛かったですね。体がガンガンぶつかって。先輩の名前が出てこないぐらいなんかなんかもう記憶もぶっ飛んでしまっていて、なんかこれはちょっとまずいなと思って。正直いうとそんな感じでしたね。厳しいスポーツなので、仕方ないところがあるのですがみんな結構ガチだったので。まあ部活で生きていこうという感じではなかったかもしれません。

――文武両道も実際はなかなか難しいですよね。川越東を卒業後、大学に進学されて、その後大学院に入られたと聞いております。そして大学院を出る頃に起業されたと伺っているのですが、そのあたりの経緯をお聞きしたいです。

 はい、大学はなんとなくという感じで情報工学科に進みました。本当になんとなく選んでしまったので、自分はプログラミングにすごく興味があると言うわけではなかったのですが、周りの人たちはプログラミングがすごくできるような人ばかりでした。部活動では社交ダンス部に入ったのですけど、そこで部活やったり、もうずっとお酒飲んだりして、それも含めて気がつくと学部四年生終わっちゃって。そこからまたなんとなく大学院に行く感じです。 

――その段階ではまだあんまり今後の方向性みたいなものが見えていなかった状態だったということでしょうか?

 はい。僕が進んだ東京工業大学って実はみんな就活しないんですよ。学部生はなんとなく大学院に進んだり、なんとなく研究室のつながりの企業に就職したりするのが当たり前で、僕もそうなっていくのかなっていうふうに思っていたんです。ただ、なんかやっぱり自分の人生それでいいのかなと思うことが増えてきて。

 その中で当時ちょっとツイッターが流行り始めてきて、よく見ると、同じ年齢にもかかわらず自分で会社を作っていて、チャレンジしている人たちとかを見た時にすごくキラキラ見えるようになってきたんです。そういったことを実際にやっている人にお会いして、「まず何をやったらいいか?」ということを聞いてみました。そこで、「ビジネスコンテストに出てみたら?」という話になって、それで出ようということで動き始めてすごく面白くて。とても熱狂できて、結果的にそこで優勝もして、そこから僕の人生が人生結構ガラッと変わったって感じですね。 

――ツイッターの通じて出会った人はどうやって見つけられたのですか?

 はっきりは覚えていないのですが、自分でリサーチというよりはどちらかというとたまたま見つけたという形だったように思います。

――そこで興味を持った人にすぐに会おうとしているという行動力がさすがですね。

 そのツイッターで出会った人が顧問として参加するビジネスコンテストがあって、その説明会に行くとその主催者の人がすごい方で。マッキンゼーの韓国支部を立ち上げ、本でもすごいベストセラーたくさん書かれているような方でした。その方に自分の人生についてちょっと相談をさせてもらったんです。

 また、大学院に入ってからMOTというMBAの技術版のような学位に興味を持っていました。それもあって、技術を追求するよりも、それを使ってどうビジネスに生かすのかということに興味が出てきていたので、色々な話を聞く中でビジネスコンテストに興味が生まれたような感じです。 

――なるほど。そのあたりからアントレプレナーシップ精神が生まれていったのですね。逆に言うと、それまでモヤっとした部分があったからこそ、全力でチャレンジ出来るものを見つけたことへの手応えがあったのではと感じました。  

 はい、そうですね。それと、川越東でもアメフトを始めたり、大学時代は社交ダンスやったのも新しいことが好きだからということもあります。誰もやってないこととか、そういうことにすごく興味があったように思います。 

――昔からそういう新しいものに飛びつくという性(さが)のようなものがあったのですか?

 昔からそれがあると思ってなかったのですけど、今振り返るとそうだったのかなと思います。中学では麻雀に目覚めてめちゃくちゃハマったりもしましたし。やっぱり自分とって新しくて、楽しいそうで、面白そうなことに飛びつくのが好きな性格でしたね。

――経歴のところの話でもうちょっとお聞きしたいなと思うのですけど、ビジネスコンテストでの優勝されたその後に会社を設立され、その後にはサイバーエージェントさんに入社されていることについてですけれども、これは設立された会社がサーバーエージェントさんの子会社になったということでしょうか?

 ええ、僕は大学院の時からサイバーエージェントで内定をもらっていて、そこでアルバイトしていました。そのアルバイト仲間とこのビジネスコンテストに出ました。ビジネスコンテストで優勝したことがきっかけで、そのバイトを辞めて、自分たちで会社を作ってやっていこうというに話をしていました。

 ただ、やっぱりなかなか難しかったところがあって。まだ何も知らなかったですし、実際会社作ってみて、すぐに売り上げも出るわけではないので、まあお金的にも不安になってしまっていたんです。その仲間達はみんなサイバーエージェントの内定者だったこともあって、「辞めるよりは一緒にやろうよ」とサイバーエージェントの社長が言ってくださったことで子会社になったっていう感じです。

――なるほど。内定者として子会社社長になったという感じですかね。サイバーエージェントさんはそういうパターン結構あるのでしょうか?

 関連会社に新卒社長という事例が一つくらいあったような気もしますが、僕たちのような勝手に会社作っちゃったということから話が進んだ事例というのはなかったようにと思いますね。

――そこで「一緒にやろう」と認めてもらえたのは、ビジネスモデルが評価されたからではないかと思います。その作った会社のビジネスモデルみたいなものっていうのは、ビジネスコンテストから出てきたものを主体にしているのですか? 

 はい、そうですね。

――そこからまた別の会社を立ち上げたり、2016年からはサイバーエージェントの執行役員もされていると伺っているのですが、その辺りは並行で行っていたという状況だったのでしょうか?

 はい、僕が最初に立ち上げた会社自身はすぐつぶしてしまって、二社目でタップルというマッチングアプリの会社を始めました。その事業がかなり軌道に乗っていて、今後サイバーエージェントとしても、マッチング事業を主力にしていこうという当時の思いがあって、本体の主役にもなったという感じです。

タップル社長時代の合田さん


――入社して4年ほどで執行役員にたどり着いたというすごい経歴だなと思ったんですけれども、やはりその会社の業績がすごく良かったと言うところが評価されたりされたのですか?

 そうですね。サイバーエージェントは新卒5年目、6年目くらいの若手の抜擢を行う制度があったこともあって、執行役員も任せていただき、そこから色々と経験積むことができました。そういった制度があったことも含め、うまくハマることができたのかなと思います。

――素晴らしいキャリアアップですね。そこからまた新たに今の会社を立ち上げるという経緯になったっていう流れについて、こちらはどういうきっかけだったのでしょうか?

 それまで実施していたタップルの事業の中で、マッチングアプリの文化も作れたかなと思うところがありました。

 僕が最初にその事業を見出したのは2011年の頃だったのですけど、当時はみんなが出会い系と思っていて、おそらくあまり良いイメージがなかったと思います。でもオンラインで出会うということは今の時代に即していて、女性がどんどん働くようになった時に、出会いの場ってなかなかったりしていて、それを変えようと思って会社作ったのが最初のきっかけでした。その事業も2016年辺りから、僕が関与しなくても普通に伸びていくような状況になったので、そういう意味でもちょっと面白みを失っていたところがありました。

 また、サイバーエージェントは社員数で言うと5000人ほどで、それ以外の業務委託とか含めて1万人程が働いている組織です。そこでの経営にあんまり僕は興味を持てなくて、どちらかというとまだ誰もやってない、他にないサービスを作りたいということにチャレンジしたくて、そこからサイバーエージェントも抜けて、タップルの社長もそれで辞めたという感じです。

――なるほど。お話を聞いていて、やはり0→1のところにかなり興味を持たれているなと感じました。そしてその新たなチャレンジというのがその現在の会社(コールドクター)での医療系だったと。

 はい、医療系のスマフォアプリで、オンライン診断やサービス受けましたって人はまだほとんどいないのではないかと思います。だいたいの人は、なんとなく近くの病院行って、なんとなく診察もらってということを行なっているかと思うのですが、それがすごいずっと変わってないのが逆に面白いなと思って。そこに「こんなデジタル化が進んでいるのに」という違和感を感じました。一方で、海外で結構オンライン診療は結構進んでいて、薬が自販機で貰える世界があったりもします。それに比べると、日本は遅れてということがあるかもしれませんが、それが逆に言うと面白いな、チャンスだなと思ってこの業界に入った感じです。

合田さんが社長を務める会社のサービス「みてね コールドクター」夜間や休日の体調不良時に医師を自宅に呼び、診察を受けられる画期的なシステムで事業を拡大中


――時期的にはちょうどコロナが広がってきた頃からそういうアイディアが出てきた形でしょうか?

 コロナの流行り出す少し前ですね。2020年の1月からやろうと決めていました。その年の4月にサイバーエージェントを辞めてそこから始めたのですが、コロナが起きたことによってそういうものが必要になってきたので時代の潮流にうまく乗れたような感じもします。

――コールドクターはすごく良いサービスだと思います。これからの時代のニーズにマッチしているし、こういうサービスがあるということがどんどん知られて拡大して行くべきサービスだというふうに私は感じています。

私自身も子供がいるのでよくわかるのですが、子どもって急に熱を出したり、具合が悪くなったりします。でもかかりつけの医者は休みだし、時間もかかるし、休日や夜はやっていない。そういう事態って結構あるので、救いの手があるということはセーフティネットとして本当に助かります。

今後は今の事業の認知度をより一層上げ、拡大していくというところもあるかと思いますが、合田さんとしてこれからのフェーズとして目指して行こうとしているところはございますか?

 はい、僕はツイッターで人生を変えてもらったと思っていて、このサービスがあったことによって人生が救われたというサービスをたくさん作っていきたいなと思っています。タップルでは、毎月1万人単位などでお付き合いできました、結婚しましたという報告を受けていたので、すごく役に立つことができたと感じました。ただ、それでも日本国民全員までには使われてないですし、世界でも使われていなかったりするわけです。FacebookやLineなどは誰もが皆使っていて、もうそれなしで生活できないというものになっているかと思います。そういうものを作りたいというのが僕自身の夢になります。コールドクターが医療系システムの中で最も使われて、「待ち時間もなかったりするし、お医者さん来てくれるし、外来で行くとそんな変わらないね」と思われるような世界ですね。そして、それがコールドクターではないかもしれないですけど、いずれは世界で使われるようなサービスを作りたいと思っています。

――これまでも色々なサービスを作って来られたかと思うのですけれども、一つのサービスを極めていくっていうところもあると思いますが、それと共に色んなサービスも作っていきたいということでしょうか?

 もちろん極めていきたいのですけど、やっぱり医療系って結構難しいなあと思うところもあって。日本はまだまだ規制が多いので、まだシステムが全然追いついていないところが多々あります。その難易度の高い医療系で極めることができたら、世界に向けても何か面白いことをやっていけたらなあと思っています。

――アプリを生活に必須なものにして、人生を買えるレベルのものにしたいという想いが素晴らしいなと感じました。人の役に立つというところを極めようとしているところがまさに起業家精神だとも感じました。

  そういった考え方の部分に関連してお聞きしたいのですが、事前のアンケートで、「高校時代に経験したことで今も役に立っていること」に対して、「ナンバーワンを目指すこと」と仰っているのがとても気になりました。これはどういったエビソードがありますでしょうか?

 同い年の同級生で、開成高校を蹴って全額特待生になった子がいたんですね。その子と高校で出会った時に、まあやっぱりめちゃくちゃ頭が良くて、やっぱすごいなというのを感じたんです。でも、逆に言うとなんか彼を超えたらかなりレベルに行けるとも思って。開成というと天才集団のイメージだったんですが、間近で見たことで彼に追いつけ追い越せという感じで、引き上げられたっていうのがありました。さらに彼だけでなくもう一人引っ張り上げてくれた子がいたんですよね。だから、なんかウチらの代は結構進学実績が良くて、東大が3人、京大も1人のような実績だったように思います。

 そういった環境の中でも、自分が得意な数学だけは負けたくないという気持ちでいました。「自分が一番取るんだ!」と思って、勉強頑張るようになったのはすごく良い経験でした。さらに、みんなが東大を目指していたので、自分もやっぱ僕も東大目指さなきゃいけないなって思っていました。結果、東大は落ちてしまって、後期試験で東工大に受かったのですけど、あの環境で東大を目指せなかったら、まあそんなに頑張れてなかっただろうなと思います。それがやっぱり高校の中で一番学びでしたね。

――まさに切磋琢磨ですね。理数科というある意味少数精鋭の環境が功を奏したのかもしれないと感じました。

 本当そう思いますね。やっぱり人との出会いって大きいなあと思います。川越東の先生で言うと、富永先生にもお世話になりましたね。疑問に思ったことを議論したいことにとことん付き合っていただいて、すごく印象に残っています。僕は数学についてはちょっと疑問に思ったら、もうとことん知りたがってしまう性格なので、結構付き合ってもらったイメージがあります。

――今出てきた「とことん」っていうのも合田さんのキーワードなのかなと思いました。事前のアンケートの中で「現在の高校生に伝たいこと」ということをお聞きした際にもその言葉がございました。 

 「今やっている勉強とことん突き詰めて思考のベースを作っていくことが今後の人生に役に立っていきます」と言う言葉をいただいているのですが、そういった「とことん突き詰めるために必要な考え方」ということを最後にお聞きしたいなと思うのですが、そのあたりいかがでしょうか?

 僕はもう数学がやっぱり好きだったので、解決しないとなんか気持ち悪くなっちゃう感じでした。勉強っておそらく嫌いな人がほとんどですよね。

――ええ、その受け身的にやっているという人が多いと思います。

 でもやっぱり僕は社会に出て思うのは、こんなにも勉強が役に立つということを教えてくれる人ってあまりいなかったなあと言うことです。数学で覚えた計算式などを使うことはあまりないかもしれないですけど、その考え方というか、思考方法はめちゃくちゃ役に立つと思います。数学を通して、地頭的な「思考のベースを作ること」を学ぶことの大事さを知ることかできたらたら考え方が変わるんじゃないかなって。それと、これは地頭だけじゃなくて、部活動とかで頑張ってナンバーワン目指すような、何かしら何でもいいから熱中してこれナンバーワン取るような姿勢はめちゃくちゃ大事だったなって思います。


川越東では多種多様な部活動で全国大会出場の成果を残している


――勉強することも含めて色んなことに手を出すっていうところがやっぱりあると思いますが、その中でつまんないなあということも出てくるとも思います。その中から何かしらこれって面白いなっていうところを見つけて、それを突き詰めて、これはもう誰にも負けないぞっていうのが出てきたら強いということですね。

 どうやってそこに至れるかはなかなか難しいですけどね。僕は麻雀がめっちゃ好きで、その時も絶対負けたくないとか、友達にとかも負けず嫌いでした。ただ、まあ部活だけはもう諦めちゃいましたが。だからやりたくないことやらないっていうのも逆にいいのかもしれないですね。全部やっちゃうと辛くなっちゃうところもあると思うので、好きなものとやりたくないもの決めて、それを追求するっていう。

――ええ、取捨選択ですよね。

 でもそれは逆に超ムズイなとも思うんですよ。もし仮に僕がアメフト好きになっちゃって、アメフトつき追及した結果、勉強できなくてとかってなることもあるじゃないですか。別で例えれば、Youtubeを観たりとかゲームしたりというのをずっとやり続けていたりしてしまっていたら、ちょっといいのかな?とは思います。

――受動的になるか能動的になるのかですよね。そのあたりが、はい。ゲームとかだと受動的になっちゃうケースが多いので、そのバランスは確かにすごく難しいです。

 うん、そう考えると勉強やっぱ大事ですね。勉強ってやって損はしないじゃないですか。

――思考のベースを作るという意味で大事だというのは、これはもう本当におっしゃる通りだと思います。ただ、高校生の時点では、今は役に立たないけどいずれはこういう部分で役に立つなという取捨選択の判断をしていくすごく難しいですね。

 それがわからないとしたら、やっぱりもう東大なりなんかめちゃくちゃ高い目標を掲げて、勉強に突き進んでいくのも一つの手段なのかなと思います。まずはデカいとこ目指そうねっていうのでもわかりやすいかもしれませんね。

――なるほど。それも一理ありますね。そういった自分なり試行錯誤し続けてきていたというところに、合田さん今があるのかなっていうことを聞いていて感じました。こう突き詰めていくというところですとか、そして現実的な部分を見るところなど、色んなことをいろんな経験をされている方なのでないかと勝手に想像していたのですが、まさにそんな感じの方だったという印象です。

というところで、お時間が来てしまいましたので、ここまでとさせていただきたいと思います。本日は、非常に面白いお話聴かせていただくことができました。本当にありがとうございました。

 はい、こちらこそありがとうございました。



合田さんのFacebookアカウント

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